1983年7月 大分佐賀関高島キャンプ
18才の熱い夏
2014,1,16更新
18才の暑い夏、我々は無人島に2泊3日でキャンプに行きました。場所は佐賀関の高島で近いといえば近いところですが完全に無人島です! 当時(1983年-昭和58年)は、今みたいに携帯電話や電子機器は全くなく文明と完全に遮断された3日間でした・・・? 行くと決めたら決行するのみで瀬渡し船で帰りは明後日!って約束で島に降り立ちました。 メンバーは怖い先輩方6人と下っ端の下級生は私を含め2人。その相方は先輩達のボスの弟子的存在なので、私は非常に厳しい状況でした(汗) あと引率というか自分自身も楽しむというスタンスのアウトドア大好き先生も参加してくれました。 (本当のところ、先輩方がキャンプを企画し、「おまえも行くぞ!」の一言でした(涙) 今憶うと、炎天下の無人島で三日間何をして過ごしたのか?何を食べたのか記憶がありません。涼しくなる深夜から徹夜で花札をして○○万円も負けた記憶はあります。 そんなキャンプも無事終わり、日常生活に戻る間もなく日焼けした肌が痛くて痛くて大変な目にあってしまいました。 この貴重な体験を皆さんにご披露致します m(_ _)m 大分市-JR-坂ノ市-バス-佐賀関-徒歩-港-瀬渡船-高島-(復路同じ) |
写真は手製のため白黒です
佐賀関でバスを降り港まで歩いていきます
腰を曲げて重い荷物を持っているのが私、涼しい顔してスコップ持っている白Tシャツがもう一人の同級生
1983年当時は普通の髪型です
写真ではわかりませんが皆、カラフルなアロハシャツで決めて?います
こうして見ると先輩後輩楽しくやっているようでうす
高島です
レトロなテントと陽当りの良い場所(日陰がありません)
こんな感じで太陽の光をサンサンと受けています
真水はポリタンク2缶の40リットルでは少なすぎです・・・
右に寝ている先輩は、体が真っ赤っかになり、後日病院へ行きました(上4枚の写真全部寝ています)
調理の燃料はイチかバチかの現地調達です
潮の流れが早く泳ぐのも一苦労した記憶があります
当時は珍しい水中写真
夜は退屈です
1983年7月の熱い夜
写真に全然写っていない先生からポーズを頼まれました。後ろの煙突は2013年に1本になった日鉱佐賀関
3日目の朝、早く船が来ないかな〜
船着場に向かいますがこのバラバラ感が良いです
なんとか3日間生き延びた8人ともう一人の先生
高島
後方に人工キャンプ場がありました。迎えの船がわざと離岸しました(笑)
もう少しで電気のある街です
佐賀関港にて船賃を払います。その後、直ぐにアイスクリームを食べました
キャンプから帰りってからは服部くんのアパート(ゴキブリ天国)に居候です
背中の皮が剥けてヒリヒリです
二輪免許を取ったばかりの服部くんの部屋にはバイクのカタログがたくさんありますが
結局は、中古で私のCB400Nを12万円で買いました
1983年のおまけ
カメラ小僧の服部くんの部屋から撮影会の写真が出てきました、モデルは「永井美香」さん!?
その服部くん
アパートから
今夏に
ゴキブリとともに
追い出されてしまいました(笑)
原因は↓居候中の管理人?・・・違います(・・;)
暑苦しいアパート
それにしても
暑苦しくて汚い
部屋でした
まさに
ゴキブリ天国